こんにちは。プロフィールをごらんいただきありがとうございます。
当ブログ「パチヤメ」運営者のミナトです。
このプロフィールのページでは、私が何者かということをお話しします。
ギャンブル依存症問題に重点をおいた半生<ダイジェスト版>です。
ザックリいうと、こんな話です。
- 高校生のときにパチンコで人生が狂い始める
- 大学に進学するもギャンブルにのめり込み借金をこさえて中退
- 就職した飲食店は超絶パワハラでリアルに命の危機を感じてヤメ
- その後フリーター生活から抜け出せなくなる
- 人生このままでいいのか? いや、ダメだろ(←今ココ)
このページを見てもらえれば、
- ミナトというのはどういう人間で、
- このブログで何をしようとしているのか?
こういうことがわかるようになるので、どうぞお付き合いください。
ゆるい感じで読んでもらえればと思います。ではごらんください!
ちなみにX(旧Twitter)のアカウントはあることはありますが、現在は放置していて再開の予定もありません。あくまでブログがメインの発信をしています。今後またSNSでの活動をするときがあれば、こちらのページなどでお知らせしたいと思っています。
運営者ミナトのプロフィール
- 元バーテンダーで元ギャンブル依存症
- 兼業ブロガーとして日々まい進中
- 夢は海外放浪の旅に出ること、自分のお店をつくること
運営者ミナトの基本情報&半生
それでは、私の基本的な生い立ちからお話しします
私は東京で、5人家族の次男として生まれました。
子どものころはガマンするのが美徳だと思っていて、自分を抑えることが多かったように思います。
- ガマンすることで親をよろこばせたかった
- そうすることで自分を評価してもらいたかった
などなど、理由はいくつかあったと思います。
けれどもいま思うと、「自分はそうしないといけない」と、みずからに思い込ませようとしていた部分は強かったのかなあと。
中学生のときに「赤面症」といって、とくに女性と話すと顔が赤くなる症状に悩まされます。
しかしほかには大きな問題もなく、勉強や交友関係など、順調といえば順調な人生を送れていました。
大きな問題が起きはじめたのは……高校生になってからでした。
高校生時代:完全に道を踏みはずした感がある
中学生のときに行きたい高校ができたことで、勉強して私は志望校に合格します。
ところが晴れて高校生になると、最速で燃え尽きました。
なんというか、勉強する目的を見失ってしまったんですよね
入学したのは進学校だったのですが、べつにいい大学に入りたいとかいうわけではなかったからです。
高校に入ってからは、勉強なんてほとんどせず、友人と遊んだりして日々を過ごすようになります。
ただ、家が厳しくて、好き勝手に遊んだりはできなかったんだな
端的にいうと「自由がない」わけです。
友人と遊ぶといっても、放課後の学校で、とか、おたがいの家でゲームをして、とかそんな感じ。
街で遊んだりとか、そういうのは全然なかったですね。
それで、そうなると問題になるのが「ふだんはやることがない」でした。
勉強する気にもなれず、といっても自由がないので遊べず、毎日がおもしろくない・つまらない。
家のきびしさとか、抑圧された生活には、ほんとうに嫌気がさしていました
そこで私は、ゲームに楽しさを見いだすようになるわけです。
ゲームが生きがいの時代
ゲームの世界は、自由と冒険にあふれていました。
喉から手が出るほど欲しかった「自由」はそこにあり、きっとそういうことがしたかった「冒険」ができる。
私の願望はゲームのなかにあって、だからゲームにハマっていきました。
ゲームへののめり込みが加速すると、サボりグセがついていきます。
学校をサボってひとりでゲームをする時間は極上です。
進級でとくに仲のよかった友人たちとはぐれてしまうと、学校に行かない日はさらに増えていきました。
そしてことが起きたのが……
「受験シーズン」でした。
受験シーズンになると、ほぼ全員が受験勉強に取り組むように。
でも、そのときになっても私には、つぎのように進学する気はなかったんですよね。
- 大学に行ってなにをするのか?
- したい勉強なんてないし、行く理由がない
それになんだか、つぎの流れに嫌悪感のようなモノもいだいていて、
勉強 → 大学 → 就職 → 結婚
「こんなレール人生のなにがおもしろいんだ?」と、反骨心というか、社会に反発していました。
おれはまわりの人間とはちがうんだぞ、と!
まあでも、それでやっていたのがパチンコ・スロットだったんですから、まったく笑えないわけですよ。
運営者ミナト、パチンコ店へ行く
もうこれ、いっても問題はないと思うのでいいますが、私は高校生からパチンコに行っていました。
どうしてパチンコに行っていたかというと、ひと言でいえば、それしかやることがなかったからです。
受験シーズン中にゲームをするのもなあ……
勉強はしないのに、ゲームをするのはよくない気がして、そのころゲームは自主的にやめていました。
しかしそうなると、ほんとうにやることがないわけです。
- アルバイトは諸事情があって禁止されていて、できなかった
- いまのように「スマホでなんでも無料で……」という時代でもなかった
「じゃあなにをすればいいんだ?」
という話になったときにあがったのが、ゲーセンでときどき遊んでいたパチンコだったのです。
子どものころから家族でゲームセンターに行くことがあり、パチンコのやり方はそこで覚えていました。
父が若いころからパチンコをやっていて、母的に「みんなでゲーセンならOK」みたいな感じで、家族でゲームセンターに行くことがしばしばありました。
とにかくパチンコの打ち方・当て方はすでに知っていたので、ためしにパチンコ店に行ってみることにしたのです。
「このへんでいっちょう本番といこうじゃないか……!」
5000円を握りしめて行ったはじめてのパチンコ。
私はそこで……10万円勝ちの圧倒的勝利をおさめたのです!
アルバイトもしたことがない(つまりお金を得る手段はお小遣いだけで、しかも月3000円くらいだった気がする)の状況でこれです。
私の金銭感覚は、この強すぎたインパクトによって完全に狂ってしまいました。
そうしてこのお金を元手に、私はパチンコ店に通うようになっていったのです。
パチンコからパチスロも打つように
私がパチンコ店に行きはじめたのは、時期でいうとまだスロット4号機があった時代です
大量獲得機(時代)の最後あたりです。
いまなら軍資金10万円なんて即なくなりますが、当時は私のようなド素人でもまだ勝てる時代でした。
最初はパチンコだけでしたが、しだいにスロットにも興味がわいてくるように。
さすがにお金をかけた本番環境で練習するわけにもいきません。
ですから私は、近所にあった「パチスロ台も置いてある古本屋(※)」のようなところによく行き、そこでスロットの練習をしていました。
※ゲーム・CD・DVD・古本などを販売しているリサイクルショップのようなところです。雰囲気はハードオフとかブックオフとかそんな感じで、お店の一角にスロットで遊べるコーナーがありました。
目押しができるようになってからは、ふたたびパチンコ店へ。
オイシイ台が落ちていることもしばしばあり、そこまで知識がなくてもまあまあ勝てました。
そうしてそれ以降は、勝った負けたをくり返し、私はズルズルとパチンコ店にかよいつづけたのです。
とはいえ、いずれは軍資金も尽きるわけだ
そうなると、また私はやることがなくなるわけで……。
こんどは、パチスロ攻略雑誌の最後のページにのっていた出会い系サイトに登録。
もはやなんでもありですが、当時は高校生でも出会い系サイトに登録できたんですよね(笑)
ところが、その出会い系サイトはサクラしかいない詐欺サイトで……私は騙されてお金を払わされることになってしまいます!
お金を用意するために、家にあった親のお金や弟のお金にまで手をつけました。
勝手に使ったお金を(バレないうちに)早く補填しないと、と、さらに騙されて追加請求、新たな問題も発生していきます。
まあアリジゴクみたいなもので、額はそこまででしたが、お金のことでめちゃくちゃになっていきました。
思えば、ギャンブルが原因による問題は、このときからはじまったように感じます。
その後、お金はギャンブルに使ったと嘘をつき、弟への補填などは親にしてもらいました。
以降は反省し、パチンコも出会い系サイトもやらず、とくになにもしない日々を送っていました。
大学生時代:パチンコ店に入り浸りつづけた
さて、レールに乗った人生なんてクソくらえだ、とかいっていた私は、その後進学しました。
土壇場(願書の締切)になって、高校卒業後のビジョンがなにもないことに気づき、
「これはマズい! 緊急回避でどこかに行っておこう!」
ともくろんだのです。
いくつか一般入試で試験を受け、運よく引っかかったところに入り、こうして大学生活は幕を開けました。
ところがどうだろう!
目的のない大学生活に意味を見いだせなかった私は、ここでサボりグセを覚醒させます。
そしてつぎの条件が重なったことで、
- アルバイトでお金を稼げる
- 行きたいときに自由にパチンコに行ける
- お金がなくなれば借金だってできる!
もののみごとに、生活はギャンブル一色となっていきました。
大学にある程度は行っていたのは最初の1年目だけで、以降はほぼ行かず。
学生ローンからはじまり消費者金融……と、借金をしてまでパチンコ・スロットをするようになります。
ふつうのバイトではお金が足りないので、時給のいいパチンコ店で働くようにもなりました。
昼はパチンコ店でバイト、夜はバイト仲間と麻雀、休みは朝からパチンコ・スロット
親元から離れられて、ようやく手に入れた自由にタガがはずれた感もありました。
あとはそんな生活をしていて、とにかく「いまが楽しければそれでいい」と思っていたのです。
いつもガマンしていて、マジメなミナトくんで通っていた私は、いったいどこに行ったのでしょう!?
まあ……このときの生活はひどかったですね
ギャンブルに依存症状が出はじめる
最初は、そんな自堕落な生活にも楽しさはあったので、それはそれでいいと思っていました。
でも、見ないようにしていた「現実」は、やっぱり見えてきてしまうわけです。
「こんなこと続けていてもなあ……」
しだいに私は、ふさぎ込んでいくようになりました。
以下の状況がループし、それをどうにもすることができなかったからです。
- 大学をサボっても学費は必要 → 奨学金から借りてたれ流し(月8万/年間96万円の借金)
- もう大学は中退したい → 親が反対していて、やめるにやめられない
- それならマジメに大学に → 授業開始1~2週間しか続かず、あとはあきらめるのくり返し
私はイヤな現実から目をそらすためにも、パチンコ店に「逃げ込む」ようになりました。
大学をサボっているうしろめたさや、どうにもならない現実など、それらをパチンコは忘れさせてくれたからです。
毎日のように負けて、パチンコ店を出るときは、財布の中身はいつもカラッポ。
- やっぱり行かなければよかった
- この借金どうすればいいんだよ……
それでも、どれだけ後悔しても、ただ家にいてなにもしない苦痛からは逃れたくて、時間があればパチンコ店に行ってしまっていました。
最初は趣味で楽しいだけだったパチンコ・スロット。
それらは、いつしか「やめたくてもやめられないもの」になっていました。
このとき自覚はありませんでしたが、まちがいなくギャンブルに依存症状はあったと思います
そんな感じで私は、その後長年つづくことになる、ギャンブル依存症問題をかかえることになってしまったのです。
それから10年以上パチンコがやめられなくなります。1000万円を超えるお金をしぼり取られ、お金だけでなく、いろんな大切なものも失っていくことになりました。
バイトもクビになって追い詰められる
それからしばらく、パチンコ店で現実逃避をする日々がつづきました。
このあたりは、けっこう鬱っぽかったですね
大学には当然行かず、友人とも話せなくなり、ついにはバイトも行けなくなってバックレてクビです。
バイト先から電話がかかってきたときは、冗談抜きで、ふとんをかぶってブルブルふるえていました。
心配してくれる人ですら全員敵に見えてしまう。
自分のことを理解してくれる人はだれもいない。自分の居場所は(現実逃避のパチ屋以外には)この世にない。
それなら、そんな世界で生きている意味はあるのだろうか……?
しかしそんなときでした。
私は人生初のバーにたどりつきます。そして、このバーとの出会いで人生が動きました。
社会人時代:飲食からはじまって兼業ブロガーへ
バーという場所は、私にとって革命的なところでした。
「自分はひとりじゃない、こんな自分でも、居てもいい場所はあるんだ」と、感じられたからです。
それで自宅近くのバーで、飲食店の経営者と出会ったんですね
その人とはウマがあって、仲良くなっていくと、(その人の経営する店で)正社員として働かないかと誘われました。
大学を中退するとなると、親からの反対は必至でした。が、しかしそこは、
「大学は辞めて就職します。実家からも出ていきます」
と親にはいうことにし、関係がここでおわってしまうのも覚悟で家を飛び出しました。
私にも「このパチンコばかりの生活をおわりにしたい、自分の人生を変えたい」という思いはあって、それをするにはこれしかないと思ったからです。
ところが、その社長の正体は、超絶パワハラ男で……。
まあ、1年で限界でしたね
正直命の危険も感じたこともあって、なんとか私は、この職場からの脱出を成功させます。
その後、もともとあった以下の考えから、私はバーで働きはじめました。
マスターは、作法もなにも知らない私を、仲間としてあたたかく迎え入れてくれた。
つぎは自分の番だ。
かつての自分のように、居場所もなく、ひとりで悩みをかかえて苦しんでいる人を、こんどは私が救う側になりたい。
名ばかりでしたがいちおう店長にもなれ、以降は7年半ほどバーテンダー時代がつづきました。
でも、やっぱりここでも、「このままでいいのか?」といったモンモンはあったんですよね
突破口を開け!ブログとの出会い
バーで働くなかで、私は、大きな壁にぶちあたっていました。
つぎの問題です。
- 小さなお店の中ではできること(人助け)にも限界がある
- この仕事をつづけていても未来が見えない
小さなお店の中では「困っている人を救う」にも限界がありました。
そもそもの話、困っている人はいうほどお店には来ていませんでした。
そしてなによりも……、
7年以上もやってこの状態では、これ以上つづけていても、どうにもならないのでは?
またこのときも、ギャンブル依存問題はつづいていたんだ
- バーの仕事がルーティンになって、生活がマンネリ化していく
そうなると、パチンコ・スロットをしていたほうが「人生で勝負をしている」と感じられてきます。
以前は現実逃避だったギャンブルは、こんどは日常的なスリル・興奮を求めるものへ。
仕事はやることだけやって、それ以上の努力・挑戦はやめてしまい、ギャンブルができればそれでいいやとなっていました。
依存症状も重く、やめようと思っても、意志の力でやめられるものではなくなってしまっていたのです。
もうやめると決意しても、どうしてもまたパチンコ店に行ってしまっていました。ギャンブルをすれば楽しいと感じるので、行けば「やめる」とかはよくなってパチンコ通いは再開。それでひどく負けるとまたやめると決意して……と、ひたすらこれのくり返しでした。
働いてお金を稼いで、借金を返して、また借りてパチンコ・スロットをする生活。
夢や目標を追うとかそういうのはいっさいなくて、まさに「その場しのぎの人生」となってしまっていました。
でも、そんなモヤモヤも、突破口への可能性が見いだされたことで消え去ります。
そう、このあたりで私は「ブログ」と出会ったのです。
私がブログでやりたいことと「今後の夢」
私はつぎのような理由でバーテンダーを志したわけですが、
- 人助け(以前の私とおなじ問題で悩んでいる人を助けたい)
- 恩返し(マスターがしてくれたことを、こんどは自分がほかの人にしてあげたい)
バーでできることは、どうしてもその場所に限定されてしまいます。
でも、ブログを活用すれば、自分の声を全国に届けることができました。
これなら、お店まで来られない人の助けにもなれると思いました
10年以上つづいていたギャンブル依存症問題を解決できたのも、ちょうどこのあたりのこと。
取り返しのつかないものを失ってしまう → ギャンブルへの依存症状をようやく自覚する → 人の助けも借りるしかないと問題を認めて動いていく
ものすごく簡潔にまとめると、そのようにしてパチンコ・パチスロをやめることもできました。
また、ブログには副業としての側面もあります。
ブログを収益化していければ、いまよりも自分の目標に近づけるかもしれない。
そしてそのノウハウを共有できれば、
私とおなじように(うだつの上がらない)生活から抜け出したいと思っている人に、「具体的な道」をしめすこともできるのでは?
ブログに可能性を見いだした。ギャンブル依存症問題も解決できた。
夢や目標をふたたび追っていける状態がついにととのって、それで私は“元”バーテンダーとなりました。
ただ、ひとついっておきたいのが、
私はバーの仕事を完全にやめたわけではないということ。
たしかにブログは、全国に声を届けられるので、より多くの人の力になれると思っています。
でも、やっぱり、おたがいが向き合って話さないと伝わらないこともあるわけです。
それに私は、くだらない話も好きなので、しょうもない話をしながらいっしょに笑ったりもしたい。
だから私は、最終的には自分のお店をつくって、そこでこのブログのつづきをやりたいと思っています。
その前に、海外放浪の旅に出るのもひとつの目標です!
人と話すのが好きな私は、異文化コミュニケーションも好きで、いろんな国の人とも話したいわけです。
そして、かつての願望だった「自由と冒険」を、リアルの世界でしてきたい。
ということで!!
私にとっての人生という旅は、まだはじまったばかりです。
より多くの人のお役に立てるよう、それから自分の夢を叶えられるよう、今後もまい進していきます。
いつの日か機会があれば、いっしょに悩んだり、いっしょにくだらない話でも(私のお店で)しましょう!
もちろん、コメントでのやりとりはいつでも大歓迎なので、相談でもなんでも、お気軽に話しかけてくださいね。