「パチンコ屋に行きたくなくなる話」みたいなのはないですか?
そういう話を聞いて、パチ屋に行く気をなくしたいんです……。
なるほど、そういうことなら、お話ししましょう。
この記事では、ギャンブル依存症を経験してきた私の「パチンコ屋に行きたくなくなる話」をします。
- パチンコ屋に行きたくなくなる(私の)6つの話+みんなの依存症体験談
私は10年以上パチンコ・スロットがやめられなかった、元ギャンブル依存症者です
いまでこそパチンコには行かない生活を送れていますが、当時は壊滅的な生活をしていました。
これからしていくのは、そんな、パチンコ依存によって引き起こされた問題(実体験)の話です。
明日からもパチンコに行けばどうなるのか?
最後まで聞いてもらえれば、これはハッキリしてくると思うので、ご自身の今後の人生を考えながら読んでみてください。
それから、ほかの人の話もあると、よりパチ屋に行きたくなくなると思うんだよな
そこで、私以外のギャンブル依存症当事者による体験談も、あわせて紹介しておくことにします。
当事者だけでなく、その方のお母さん・お父さん・妻など、家族目線の話も見られるので、こちらも参考にしてください。
ミナト
10代で行った初めてのパチンコで大勝し、パチンコ・スロット漬けの日々へ。借金を重ね、多くを失い、10数年もの間ギャンブルをやめられなくなる。しかし他者の力も借りて依存症を克服。その経験をもとに依存からの脱出方法を発信している。併設店・専門店での従業員経験もあり。>> プロフィール詳細はこちら
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パチンコ屋に行きたくなくなる話(6つの体験談)
それではさっそく、パチンコ屋に行きたくなくなる話をしていきましょう。
この記事では、つぎの6つの話をすることにします。
- 生活がパチンコに支配されていった話
- お金がなくなった(借金地獄におちいった)話
- 恩人を裏切ることになってしまった話
- 大切な人を追い込んでしまった話
- 空白の時間を過ごすだけになってしまった話
- パチンコをやめても解決できないことはあると知った話
ほかにも話はあるのですが、紹介するのは「人生にかかわる大きな問題」にしぼりました
明日からもパチンコに行けば、ここで見た話が自分にも起こることは現実的にある。
そう思って、話を聞いてもらえればと思います。
またこの話は、基本的には時系列にそって(問題が起きた時期の順に)ならべてあります。
上から順番に読んでもらえばわかりやすいと思うので、どうぞこのままごらんになってみてください。
1. 生活がパチンコに支配されていった話
まずお話しするのは、「生活がパチンコによって支配されていった話」です。
最初は遊びだったはずのものが、いつのまにか、それが人生のすべてになっていた私の体験談です。
私がパチンコをはじめたのは高校生のときで、パチンコ通いが激化したのは学生時代でした
学校をサボって、とか、勉強をしないで、とかもありました。
でも突き詰めるとそれは、そっち(ギャンブル)をしていたほうがおもしろかったからです。
とくに進学後は、ようやく手に入れた自由を満喫していた……と、ようは遊びでやっていただけでした。
話が変わってきたのは、「現実から目を背けるために」パチンコ店に行くようになってきたころ。
当時の私の状況を簡単にまとめると、つぎのような感じで、
- 大学をやめたいと思うも家の事情(親の反対)でやめられない
- 年間80万円を超える学費はたれ流しで、しかもそれは最後は自分の借金になる奨学金
- どれだけ学業に専念しようとしても2週間が限界で、それ以降はバイトとパチンコ生活
端的にいうと、なんのために生きているのかわかりませんでした。
意味もなく時間とお金だけがなくなって、しかしその状況は家の事情もあって変えられない
それで、そういうどうにもならない状況が、心底イヤになってきたんですよね。
そんなとき、すべてを忘れさせてくれる場所があったわけだ
そう、それこそがパチンコ店で、パチンコ店は私にとっての「かけこみ寺」になりました。
- 行き場を失った若者たちが、街の一角にたむろしている
- 仕事をクビになったサラリーマンが家族に言い出せず、スーツを着て公園にいる
その「街の一角」や「公園」が、私の場合はパチンコ店だった、ただそれだけの話です。
パチンコをしているときは、なにも考えずにいられました
イヤなことは全部忘れられましたし、過ぎていく時間や人生にも意味を見いだせるような気さえしました。
バイトがない日は、学校をサボるうしろめたさを感じなくさせてくれました。
そしてこのあたりから、パチンコに行くのが、自分の意志ではコントロールできなくなってきたように思います。
その後はパチンコが人生のすべてになった
ギャンブル問題もそうですが、人間、限界を迎えてはじめて「動こう」となるものでもあります。
留年確定 → 奨学金はこれ以上借りられない → 学費が払えない → もうやめるしかない
それで私は強硬手段をとって、大学を中退しました
その後は知り合いのつてで飲食店に就職。
「こういうことがしたい」と思った仕事(バーの仕事)を見つけることもできました。
「最初の店で修行して、技術が身についたらほかの店に移動してスキルアップを……」
当初は私も、そういった将来のことは考えていて、仕事に精をだしたりもしていました。
でもやっぱり、そんななかでも、パチンコは大きな存在としてあったんですよね。
仕事は慣れると、どうしてもルーティンになってしまいがちです。
つらいこともしんどいことも多いですし、楽しいことばかりとはいきません。
日々の積み重ねといっても、すべてが目に見えた結果として返ってくるわけでもないしな
そうなると、パチンコをしていたときのほうが「人生は充実だ」と感じてくるわけです。
- パチンコ・パチスロはいつ行っても新鮮な刺激を味わえる
- 毎日の「勝った負けた」が人生で勝負をしている気にさせてくれる
- 仕事なんてサブイベントでパチンコがメインのクエスト
結果、私は、仕事をサボってまでパチンコをするようにもなりました。
仕事はもはや、パチンコに行くお金を稼ぐためのもの。このあとでもお話ししますが、パチンコの借金を返すためのものになっていました。
パチンコをするための生活……そう、いつしか私の人生は、パチンコがすべてになっていたのです。
パチンコに行けば今後の人生を考えなくてすむ……ここでも「かけこみ寺」は起きました
ルーティン化した仕事をする生活に意味を見いだせない。
そうなっていたのは、ほんとうはパチンコに逃げて「努力すること・挑戦すること」をやめてしまっていたからでした。
しかしこのとき、パチンコに行く・行かないは完全にコントロールできなくなっていて、もはや努力もなにもなかったのです。
- パチンコをするために仕事をしている。努力や挑戦をやめてパチンコに逃げている
そんなことになっていませんか?
それなら、パチンコをつづければ、今後もそれがくり返されるだけですよ。
じっさいに私が、長年にわたってそうしてきたように、です
2. お金がなくなった(借金地獄におちいった)話
では、こんな感じで話をつづけていきます。
つぎは「パチンコでお金がなくなった(借金地獄におちいった)話」です。
パチンコ・スロットのレートって、はっきりいってかなり高いよな
毎回うん万円とか、そんなお金は簡単に用意できるものではありません。
ですから、学生時代の私は、「学生ローン」から借金をしてパチンコに行っていました。
社会人になってからは「消費者金融」がメインに。
最初に無人契約機のなかに入ったときは、なにか、取り返しのつかないことをしてしまいそうな気がしました
しかしそれも最初だけです。
お金がすぐ手に入るうれしさに危機感もマヒしていき、2社目、3社目と借金を重ねていきました。
私は社会人といってもフリーターだったので、借りられる限度額は「合計3社120万円」。
そこに到達してからは、ほぼ限度額をキープしていて、返しては借りてをする生活をしてきました。
どうしてもパチンコがガマンできなかったときは、ヤミ金と思しきところからお金を借りようとしたことまであったほどです。
支払いに困って、とかではなく、パチンコに行きたいだけでヤミ金に手を出そうとしたわけですから、かなりヤバいですよね。頭のなかでリーチがかかる音楽が延々と流れていて、耐え切れずに電話してしまいました。
自販機で120円の缶ジュース1本すら買えないこともザラ。
ラーメン1杯のぜいたくもできず、ひもじい思いをすることもたくさんありました。
お金なんていつもなく、でもなぜか、パチンコで負けるお金はあるわけで……。
と、そんなことをしていた結果、
- パチンコの負け額は最終的には1000万円をゆうに超え、
- 借金の利息だけでも100万円を超えるお金を支払ってきた
なんてことになってしまったのです。
それで、いっておきたいのは、フリーターの私にとってその負け額は「大金」だったってことです
1000万円ものお金があればなんだってできました。
それに、借金を返すために私は冗談抜きで朝から朝まで働いていて、1日に2~3時間しか眠れないほんとうに苦しい生活をしてきました。
しかしそれだけがんばって返済しても、またパチンコに行くのでまったく減らないわけです。
ただの地獄でした。借金地獄ですよね。
額はそこまでではなかったとしても、そもそもの稼ぎがなかったので、そのぶん生活が苦しかった。
正直言って「もう二度とあの生活はしたくない」と思うほどのきびしさがありました。
パチンコでの借金はあるか?
まだ借金をしていなかったとしても、手を出してしまうのは時間の問題だと思います。
パチンコをやりつづけていれば、遅かれ早かれ、地獄を見ることになってしまう気がしますよ。
(※パチンコでの借金がある場合、いますぐに完済にむけて動いていくことをおすすめします。私が完済にこぎつけた方法は以下の記事でまとめてあるので、こちらもあわせてどうぞ)
3. 恩人を裏切ることになってしまった話
これは、パチンコが原因で、人の信用を失うことになった話です。
私が「恩人を裏切ることになってしまった話」をしましょう。
私は大学を中退後、飲食店に就職したのですが、そこをやめて一時的になにもしていない時期がありました
いわゆる「プータロー」状態で、ようするに無職ですね。
それで、無職では生活できないので、そのときはどうするか考えていたのですが、
「よかったら、知り合いのお店紹介しようか? ワインとかそっちがメインのお店なんだけど」
と、行きつけのバーのマスターが仕事を紹介してくれたのです。
このバーのマスターは、私にとっては恩人でした。
どこにも居場所がないと思っていた私に居場所を与えてくれ、私にバーの仕事をしたいと思わせてくれた
そんな、やさしくて、格好よくて、ほんとうに尊敬する人でした。
でも、その恩人の顔に、泥をぬるようなことをしてしまったわけだ
パチンコなどのギャンブルが原因で、私は、紹介してもらったお店をほんの数回行っただけでやめてしまったのです。
なぜ私はそんなことをしたのか
そのときなにがあったのかというと、パチンコや競馬で負けたのが原因でした。
働きはじめるまえにギャンブルで大きく負けてしまって、そこそこだった借金は一気に限度額へ。
紹介してもらったお店の給料は高くはなく、借金で精神的にもまいっていました。
そこで、借金を返すためにも、そんなバイトをしている場合じゃ……という話になってしまったのです。
最初に数回だけ行ったのは、問題への対処をギリギリまで先延ばしにしていたから。
お店の人からは「紹介してくれたマスターの顔を立てるためにも、最低でも2~3か月は働いてほしい」といわれました
しかしそれをしていれば、借金の返済は本気でできなくなって、完全にパンクしてしまいます。
そのお店も人手不足で、人材確保に必死でした。
ギャンブルでの借金と、そしてお店の人にも追い詰められてしまって……。
だから私は、ほとんどバックレのような感じで、紹介してもらったお店を辞めてしまったのです。
しかもこの話は、私が以前働いていた職場や、関係があった場所にも伝わりました。
最終的には以前の上司がかわりにそのお店に入ってくれて、知らないところで私のケツを拭いてくれていました。
このようにして私は、ギャンブルが原因で恩人だけでなく、多くの人の信用を失うことになってしまったのです。
- 仕事先の人、友人、家族、パートナー
など、かかわりがある人はたくさんいると思います。
そういった人の信用を、パチンコが原因で失ってもいいですか?
信用を失うと孤独になってしまいます。ゆるしてもらえたとしても、完全に元どおりとはいかないかもしれません。
4. 大切な人を追い込んでしまった話
彼女や奥さんがいるなら、この話も聞いていってください。
パチンコ・スロットが原因で、私が「大切な人を追い込んでしまった話」です。
当時私には、長く付き合っていた恋人がいました
ただ、パチンコに依存症状がでてくると、大切なものの順位が逆転してしまうわけですよね。
- パチンコが一番
- その次にパチンコをするための仕事
- 家族や友人
- 最後に恋人
といったふうにです。
彼女は私がパチンコに行くのをイヤがっていて、ギャンブルのことでもめることはよくありました。
正直、パチンコに行くのを邪魔する彼女の存在が「うっとうしい」と感じたことはいくらでもあります。
それである日、ささいなことで喧嘩になってしまって、私はいったのです。
「じゃあもういいよ、さようなら」
当時その恋人はわけあって働いていなくて、ひとりでは生活できない状況だったんだ
私と別れることになれば、彼女は住む場所を失ってしまう。
それをわかったうえで、私は、別れをにおわせるようなことをいってしまったのです。
その結果、どうなったかというと、彼女は持っていた睡眠薬を全部飲んで救急車で運ばれました。
みずから命を断とうとしてしまったのです!
さいわい命に別状はなかったものの、恋人の心と身体を、深く傷つけてしまいました。
病院で寝ている彼女の顔を、私は直視することができませんでした。
そしてこの話も、おたがいの親にまで伝わることとなり……私と彼女は結局別れることに。
- なにがほんとうに大切だったのか?
- パチンコと恋人のどちらが大事だったのか?
それに気づけたのは、恋人を失ってからでした。
失ったことでようやく、なにがほんとうに大切だったのか、そのことに私は気づけたのです。
彼女や奥さんといるより、パチンコをしていたほうが楽しい……と感じることは正直あると思う
でも、失ってからではもう遅いですよ。
それに、そもそもパチンコに行かなければ、「大切な人よりもギャンブル」なんてことも起こりません。
パチンコに行くからこそ、なにが大切なのかがわからなくなっていくのだと私は思います。
恋人との話はこちらに書きました
5. 空白の時間を過ごすだけになってしまった話
さきほどの話は、私にとってのパチンコをやめるきっかけにもなりました。
それで、他者の力も借りるなどして、なんとかパチンコはやめられたのですが……、
ここでお話しするのはそのあとのこと。気づけば「空白の時間を過ごすだけになってしまった話」です。
私はギャンブルへの依存によって、パチンコを10年以上やめられませんでした。
もちろんそのあいだ仕事はしていましたが、さきのとおり、なにか努力や挑戦をしてきたわけではありません。
やっていたのは、パチンコ・パチスロ、ただそれだけ。
ようは、その後に生かされることもない、意味のない10年以上を過ごすことになってしまったのです。
もちろん、人生における経験は、完全にムダになることはなにひとつないと思うんだ
私もパチンコに依存してきた経験があるからこそ、いまこうして、パチンコに行きたくなくなる話をできています。
その話が、ギャンブル問題で困っている方のお役に立つのなら、消費してきた時間にも意味があったと思えます。
でも、できることなら、もっといろんなことをしていたかったなあと。
私にもギャンブル以外にやりたいことはありました。
- お金がないからできない
- パチンコがやめられないからできない
そうやって、たくさんのことを諦めてきたのですが、もしそれらをひとつずつでもできていたとしたら?
おそらく人生は、もっと早い段階から動いていたと思うのです。
「動いていた」というのは、ほんとうの幸せとか、夢・目標の実現とか、そういうのに向けてです
タラレバをいってもしかたがありません。
それにもしかすると、人生が動くタイミングは人それぞれ決まっていて、私の場合はパチンコをやめられた年からだったのかもしれません。
ただ、いまでも思うのは、若いときにアレコレやっておければな……ということなんですよね。
パチンコをやめられたあとで、そうやって後悔ばかりする人生になるのはイヤだよな?
最低でもこれだけは、「絶対にそうだ」といえます。
パチンコをやっていてよかった(行っていてよかった)。それだけはない
ということをです。
パチンコをつづけたさきにあるのは、「もっと早くやめておけばよかった」の後悔だけですよ。
後悔を今後に生かす方法はこちら
6. パチンコをやめても解決できないことはあると知った話
最後にお話しするのは、パチンコをやめられてから気づいたこと。
「パチンコをやめても解決できないことはあると知った話」です。
パチンコをやめられたあと、もっとも深刻に感じた問題は、その後の「仕事」でした
私の場合、万年フリーターで、技術を磨いてくることもしてきませんでした。
やってきたのは……パチンコ・スロットだけ。
一般企業への就職経験もないので、いまさら就職できる気もしません。
となると、今後の人生は、どうすればいいのか?
朝も夜も働きつづけるのにも(体力の)限界ってものがあります。
それに、ひたすらその生活をつづけたところで、なにかがあるとも思えませんでした。
- 稼ぎがわるいと、時間ばかりが過ぎていく
- しばらくとめていた奨学金の返済もしていかないといけない
- 今後やりたいことをしていこうと思ったらいまの仕事では絶対ムリ
ようは、こういうことに気づいてしまったのです。
パチンコに依存すると、それをやめただけでは解決できない「仕事・お金の問題」がのこる場合もある、と。
ギャンブルなんてせず、きちんと仕事に向き合っていれば、こうはなりにくいと思います。
でも、仕事なんてそっちのけで、パチンコばかりしていれば、やめたあとでも生活に困窮することは起きてしまうのではないでしょうか?
まさに「アリとキリギリス」です。毎日がんばって働くアリを横目に遊んでいたキリギリスは、その後食いっぱぐれたわけです。
食いっぱぐれる人生を送りたいか?
これからもパチンコをつづけるさきにあるのは、
ギャンブルをやめていざやりたいことができても、それをなすお金がない・お金を稼ぐ仕事がない
そんな問題かもしれません。
パチンコをやめられただけでは解決できない問題もあることは、知っておいてほしいと思います。
(※なお私は、この仕事問題を解決させるために副業をはじめることにしました。自分で稼ぐしかないという結論に達したからです。副業は以下の記事でまとめてあるので、こちらも見てみてください)
パチンコよりも稼げる副業まとめ
パチンコ屋に行きたくなくなる「みんなの体験談」
パチンコ屋に行きたくなくなる私の話は、こんなところにしておきます。
それから、ほかの人の話もあるんだったよな?
そう、私以外の人の話(当事者の体験談)もあるので、最後にこちらも聞いてみましょう。
私は独身なので、結婚されているなら、そういう人の話もあるとより理解も深まると思います
ここでは「依存症対策全国センター」というところに寄せられた、ギャンブル依存症当事者の体験談をいくつか引用します。
今回は当事者の体験談のみ引用することにしました。
当事者の家族目線の話や、そのほかの体験談も読みたいときは、依存症対策全国センターの「体験談」のページで見られます。
記事作成時点で200前後の話があるので、気になったらあとで見てみてください。
50代男性 当事者の体験談
No.1 50代男性 当事者の体験談(ぱちんこ関係)
自分自身がギャンブル依存症であると自覚してから 6 年が経過しました。
ギャンブル依存症という言葉は聞いたことがありましたが、認める前は自分には無関係だと思っていました。
先ず、自分がギャンブル依存症になった背景としては、幼少期からのギャンブルに対して垣根が低かったのが大きいと思います。
家庭内麻雀を小学生の頃から始め、中学時代まではゲームセンターのコインゲームに相当ハマりました。沢山のコインが獲得出来た時は、大人に混じって大音量でジャラジャラとコインが出てくる興奮と、大人以上に出ているという優越感や周囲が羨ましがる感覚、自分が一目を置かれているという感覚がたまりませんでした。
その頃から自分の脳は立派に依存症者となる土台が出来上がっていたと思います。
高校時代からパチンコ屋へ通うようになり大人の仲間入りをしたような感覚があり、社会人になっても給料だけでは足りないので、複数のクレジットカードや消費者金融のカードを作っては限度額一杯になり母親へ泣き付いて何度も肩代わりをしてもらいました。
ギャンブルをしていた時の心境は、何か言い訳を考えて自分を正当化していました。
結婚をして使える小遣いが減ったから仕方ない、上司や後輩のせいで仕事がうまくいかない、借金が膨らむことを知っていても、一発逆転する為にはギャンブルが自分に必要だと。
どちらかといえば、うまくいかない日常生活のストレスを発散するためにギャンブルをしていたのが、いつの間にかギャンブルをしないと生きていけない生活が続いていました。
心の奥底では妻や息子のことは考えていましたが、正当化するための理由を作りそこの部分はフタをしていました。
末期の状態では、自分が死んだら生命保険金で借金を帳消しに出来ると投げやりな気持ちでいましたが、死ぬ勇気など自分にはありませんでした。
最終的には 6 年前に妻と当時中学 2 年生の息子にすべてを打ち明けることとなりました。
告白をした時に離婚を覚悟しましたが、自分の場合は病院や施設に入らずに最初からインターネットで検索をした自助グループに通いだすこととなりました。
最初の頃は、自助グループに通い続けることで回復に向けて努力をしているアピールをして妻に認めてもらいたいと考えていました。
実際、自助グループでやめ続けている仲間と一緒に居てギャンブルは止まりました。
そこでは嘘を吐かないことがこんなにも楽になれるという感覚や、自分だけではなくて同じような経験をしている人がこんなにも居たのだという安心感や共感を沢山得ることが出来ました。
しかし、半年位自助グループに通っても何故か思い通りに生きていけないというか、生きにくいという感覚が取れませんでした。
回復に向けたプログラムの種類は沢山ありますが、当時自分の周りには 12 ステッププログラムをしている仲間が凄く輝いて見えていました。
それから自分も自助グループの仲間から 12 ステッププログラムを伝えてもらい、実践をしてみたら自分の考え方の癖や欠点が驚くほど沢山あることが理解出来ました。
等身大の自分を理解してからは、自分自身を飾る必要も無く、ありのままの自分をさらけ出せるようになってくる感覚で現在は本当に楽になりました。
現在は複数のオンラインミーティングを企画して、自助グループに通いづらい環境の仲間と毎週オンラインで会話が出来るのが自分の回復にも非常に助かっています。
この活動は仲間を助けるということ以上に、自分自身が助けてもらっていると感じています。
自分は何にでも依存しやすいので、お酒が飲めたらアルコール依存症になっていたと思うし、薬物や浪費とかに移行するリスクも非常に高いと考えています。
今後の活動としては、依存症になってしまった後の関わりだけでなく、依存症となる手前の予備軍、または学生のうちに依存症の正しい啓発活動や予防活動をする必要があると考えています。先ずは生徒、保護者、教員、援助職の方を中心に、依存症は誰にでも発症するリスクがあることや、若い世代ほど重症化するリスクが高いことをしっかりと伝えていきたいです。
体験談(令和4年7月掲載)
30代女性 当事者の体験談
No.2 30 代女性、当事者の体験談(ぱちんこ関係)
私はギャンブル依存症から回復中です。
ギャンブルを始めたきっかけは職場で好きな人が男同士でギャンブルの話をしていて、話を合わせたい為に知り合いに教えてもらいました。初めは千円を使うのがとても怖かった記憶があります。その後は、すぐに大当たりし一万円勝ちました。
そこからギャンブルに少しずつハマっていき、1 ヶ月もしないうちに 1 人で行くことに何の抵抗も感じなくなりました。親に生活費として渡していた五万円がいつのまにかパチンコに充てるようになり、ボーナスもほとんど使い果たすようになりました。そんな生活を続けていくうちに、資格取得のお金が工面できず、初めて消費者金融で借金をしました。自分が借金をするなんてと絶望しました。が、いざ借金をすると月々の返済が数千円なのに驚き、当時は利息のことなんて理解しておらず楽に返していけるだろうと甘い考えでいました。そのお金でパチンコをすることも苦に感じなくなってきました。
大切に使ってくれるならと、中古の管楽器を五万円で譲ってもらったのに、消費者金融の返済金をパチンコで使い果たし、楽器を売りに出したり、パチンコに代わる趣味をと思い一眼レフを購入しましたが、何回も質に出し入れし、最終的には2万5千円で売りに出し、そのお金を握りしめパチンコ屋に直行し、全て使い果たしてしまうこともありました。
このように、負けるたびに絶望し、もうやめよう。と思っても数日経つとすぐにまた行こう。となりました。辞めたくてもやめられないことはわかってはいましたが、まだ、自分の人生どう生きようといいだろう。人には迷惑かけていないと思っていました。
借金も気がつくと200万円になっていました。
独身で実家暮らしで貯金もなく誰にも打ち明けることなく多額の借金を抱えた事に、ひどく落ち込み、不眠や、不安症状に悩むようになりました。しかし、パチンコには毎日行かないと気が済まず、行きたくない、打ちたくないと思いながらもパチンコを打つ生活が続きました。
もう限界だ。お金も底をつく。辞めたくても、自分の力では辞めることがなぜかできない。そう感じ、2020年の7月下旬に、某県の精神保健福祉センターに泣きながら電話をしました。優しく対応してくださり、近日中に面談の日取りを決めてくださいました。面談をし、依存症の方のためのセミナーに毎週仕事が休みの日に通い、依存症とはどの様なものであるのかを学んだり、他の依存症に苦しむ仲間の話を聞いたり、自分だけではなく、他にも同じ悩みを持った仲間の存在に気づくことができました。
仲間に沢山の話を聞いてもらいました。聞かせてもらい、沢山の共感がありました。感謝しかありません。
ギャンブルをしなくなって 1 年と7ヶ月、本当に日々の暮らしが変わりました。
借金をしない、嘘をつかない、ギャンブル場には行かない、スリップの引き金を作らない。これを私は約束し、1日、1日生きています。その約束を守るために自助グループや依存症回復施設をうまく活用して、ギャンブルを辞め続ける努力をしています。
体験談(令和 4 年5月掲載)
40代男性 当事者の体験談
No.4 40 代男性、当事者の体験談(競馬関係)
私は発達障害を持っています。
一般の方々より、物事にハマりやすく一度ハマると周りが見えなくなるくらい没頭してしまいます。
私は競馬が大好きです。今でも大好きです。しかし馬券は買いません。
それはギャンブル依存症だからです。
20 歳の頃から走るサラブレッドに興味を持ち、毎週競馬場へ行っていました。
その頃は自制ができていて、馬券はそんなには買っていませんでした。
全国の競馬場を巡ったり牧場巡りをしたりと、ごく一般の競馬ファンでした。
しかし、インターネットで手軽に馬券が買える様になりいつでもどこでも投票できる様になると、様子が一変しました。
今までは現金投票だったので、いくら使うのがわかったのに、スマホで数字を入れるだけでいくらでも投票ができてしまい、ゲーム感覚でお金を扱っている感覚が麻痺してきました。
賭ける金額も多くなり、あっという間に残高がなくなってしまいます。
そこで気づけばいいのですが、負けを取り返さねばとカードローンや消費者金融からキャッシングをやり始めました。
キャッシングもネットから簡単に振り込み依頼ができて、自分のお金と錯覚してしまう程、いっぺんに借りまくり、そして賭けまくりました。
その頃発達障害の特性で仕事も転々としている中、転職する度に給与は下がり収入は減っているのに馬券の買い方は変わりませんでした。
何回か親に借金を肩代わりしてもらった事もありました。その度に「あんたはだらしない。」と言われ続けました。
しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れる。それでもまた同じことの繰り返しでした。
そして結婚後も隠れて続けていたのですが、遂に妻に借金とギャンブルがバレて即別居になりました。
それを機に自分は依存症なんでは?と思い、ギャンブル依存症専門の医師がいる病院を受診して、ギャンブル障害と診断されました。
医師からは自助会を紹介されて、毎週通う様になりました。
しかし初めの内はやってる意味がわからなくて、再ギャンブル(スリップ)を繰り返していました。
その内に借金が限界になり、光熱費等滞納するようになり、弁護士さんに依頼して任意整理すると共に、金銭管理を親にお願いしました。
いい歳こいた人間が老いた親に頼るなんて情けなかったですが、生きていく為には、こうするしかなかったです。
発達障害の衝動性の特性も要因の一つだと医師には言われましたが、自助グループに通う事で変われると言われ、通い続けました。
その内に、30 日、60 日と辞め続ける期間が長くなってきました。
コロナ禍もオンラインでの自助グループに参加して分かち合いを続けてきました。
そしていつの間にか 200 日になりました。
知人は皆競馬好きです。彼らをみていると、昔の自分のような掛け方をしている人も居れば、節度を持って楽しんでいる人もいます。
決して競馬を憎んだり恨んだりはしていません。今でも馬は大好きです。
自分の場合は発達障害という脳の病気からギャンブル依存症という脳の病気を併発してしまったのです。
発達障害もグレーゾーンで苦しんでいる人が沢山いるのと同じく、ギャンブル依存症もやはりグレーゾーンで苦しんでいる人がたくさんいる筈です。
最近、競輪場ではゲストを呼んでの依存症啓発イベントをやってるようですが、同じような活動を競馬場とかでもやって頂き、そういう人は一度、専門医や相談機関に相談できるきっかけを作ってみてほしいです。自分みたいな人間をこれ以上増やして欲しくないです。
これからも辞め続けて行き、同じ苦しみを持っている仲間を手助け出来る様になっていきたいと思っています。
体験談(令和 4 年5月掲載)
今回のまとめ
- パチンコをしていると生活が支配される
- お金も信用も大切な人まで失ってしまうこともある
- パチンコをやめても解決できない問題がのこる場合もある
パチンコは、だれだって最初は遊びでやっているものです。
しかしそれが遊びではなくなり、依存までしてしまえば、生活が支配されるようになります。
- お金、信用、大切な人、努力や挑戦の機会
など、多くを失うだけの人生になってしまうこともあるのです。
そして、パチンコをやめられたとしても、それだけでは解決できない問題がのこることもあります
やっていればそんなことにもなりかねないパチンコに、明日からも行きますか?
いや、ギャンブルは、もうこのへんでいいのではないでしょうか。
きっとこれまでパチンコ・パチスロがやめられず、苦しい思いをしてこられたと思います。
それならなおのこと、ギャンブルで失いつづけるだけの人生は、今日でキッパリおわりにしましょう。
パチンコにはやめる方法があって、たとえば最後の当事者の人たちの話では、つぎの3つが出てきたな
- 自助グループ(GA/ギャンブラーズ・アノニマス)に参加して、仲間と問題を共有する
- 都道府県の相談窓口に電話する
- 任意整理といって、法律の専門家にたのんで借金の返済をラクにしてもらう(利息をカットすることで毎月の返済を大幅に減らせる)
これらの方法は、「パチンコをやめたい」を人に助けてもらう8つの方法でもまとめてあります。
ほかにも人の助けを借りる手段はあるので、ぜひ見てみてください。
また人の助けを借りるのも大事ですが、日々の生活を変えていくことも重要です
毎日の習慣が変わらなければ、パチンコに行く習慣も変わりません。
基本の対策はパチンコをやめる11の方法に書いてあるので、まずはこちらから実践へとつなげていってみてください。
パチンコはやめたいと思っても、どうしても思うだけではまた行ってしまいます。
ですから、すべては「思うだけではなく行動すること」です。
動けば動いたぶんだけ、ギャンブル問題も、そして人生も動いていくので、この話をぜひ生かしてもらえればと思っています。
パチンコをやめる方法
パチンコに行きたくなくなる画像まとめ
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