いろいろあって、久々にスロットを打ちに行ってきました。
その結果、元依存症の私に起きたすべてのことをお話しします。
- 久々にスロットを打ちに行くことにしたワケ
- スロットを久しぶりに打ちに行った結果(依存症の再発記録)
結論からいうと、今回、過去最大のスリップとなってしまいました
これまで何度もスリップはありましたが、まちがいなく今回がいちばんヤバかった。
以前(依存症当時)のような、完全に歯止めがかからない状態にもどってしまっていました。
でも、こうして白状する記事を書けているのは、そこからなんとかリカバーすることができたからです。
今回の再発でかなり多くの発見がありました。
伝えられることはあるので、ことの顛末をお話ししたいと思います。
ミナト
10代で行った初めてのパチンコで大勝し、パチンコ・スロット漬けの日々へ。借金を重ね、多くを失い、10数年もの間ギャンブルをやめられなくなる。しかし他者の力も借りて依存症を克服。その経験をもとに依存からの脱出方法を発信している。併設店・専門店での従業員経験もあり。>> プロフィール詳細はこちら
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久々にスロットを打ちに行こうと思ったワケ
まず、今回私が、久々にスロットを打ちに行こうと思ったワケからお話しします。
これは良くも悪くも、「生活に変化」を求めていたからでした
最後のスリップから3年、私はパチンコ店に行かない状態を維持できていました。
ギャンブル以外で楽しめる趣味も見つかり、ふつうに生活できていました。
ただ、いろいろあって、「最近毎日が面白くないな」の流れに入っていたんですよね。
「なんか最近つまらんなあ」は、まあみんなそういう時はあるだろう
いま思えば私の場合、人生の目標・目的がボヤけてしまっていました。
だから毎日にメリハリがなくなり、ダラダラした感じになって、「なんか最近……」になってしまっていたように思います。
そしてそんな状態で重なったのが、歯の治療(※)で……、
※歯茎を切開するタイプの親知らずの抜歯で、術後1週間くらいはなにもできませんでした。お酒も飲めない、運動もできない、と、これはけっこうなストレスでした。
ちょっとこの生活状況は変えたいなあと。
そんなときにチラついてしまったのが、ギャンブルだったのです。
パチンコ関係のニュースサイトを見ていて、以前から、昔のスロットのリメイクは多少気にはなっていました
またこのとき、つぎのように、以前と変わっていることが多々ありました。
- ギャンブルでの借金はもうない(ただし奨学金の返済などはある)
- 自力でお金を稼ぐ手段がある(ギャンブルで稼ぐ必要はなくなった)
- タバコのコントロールが可能に(旅行中だけ→帰ったらまた禁煙、はできた)
経済状況の改善で思ったのが、スロットを遊びでやってこられる可能性です。
「経済的に余裕があれば遊びでギャンブルもできるんじゃないか?」と、以前から私なりの仮説は持っていました。
また以前、「旅行中だけタバコ」がなぜかできました。
それなら、以前はおなじく依存症状があったギャンブルも、コントロールできてしまうことはあるのではないか? と。
パチ屋に行けば、高確率で人生がわるい方向に行くのは予想できました。
しかしどう転ぶにせよ、人生に変化が起こるのは確実……
それに浮かんだ疑問(いまならコントロールできるのか?)の答えを知る方法は、自分でたしかめてみるしかありません。
そういった理由から、私は久しぶりにスロットを打ちに行ってみることにしたのです。
正直、打ちに行きたかったのもありますが、半分は「検証」みたいな感じだったわけです
スロットを久しぶりに打ちに行った結果
というわけで、久しぶりにスロットを打ちに行ったのですが、結果、大スリップになってしまいました。
大まかな流れからさきにいうと、つぎのようにして依存症状が復活していきました。
- お金とかはいいから遊びたい・勝ちたい→いくらでも負けられる
- やっぱりコントロールは無理だ(即わかった)
- こんなことやってる場合じゃないからもうやめよう→やめられない
- 使えるお金がなくなる→キャッシングにまで手を出す
- 趣味や運動の習慣がなくってギャンブル一色になる
- すべてがどうでもよくなって「ギャンブルができればいいや」になっていく
- 休日・休み前だけでなく、ふつうに平日の夕方以降も行ってしまう
- ついに目が覚めて再度「断ギャンブル」を誓う
期間でいうと、基本行くのは休みかその前日できたが、1か月間くらいつづきました
お金は運よくというか、トータルではそこまで負けなかったのですが、1日に13万円負けた(投資は15万円)日もありました。
以下、今回のスリップで起きたこと・気づいたことをまとめていきます。
経済状況の改善→お金の制限がなくなっただけだった
今回スロットを打ちに行った大きな理由のひとつに、
- 経済的に余裕があれば遊びでギャンブルもできるんじゃないか?
というのがありました。
しかしこれは、使うお金の制限がなくなって、勝つため・遊ぶためならいくらでも投資できるようになっていただけでした。
ギャンブルはどうしても生活資金を賭けてしまうから、のめり込みが加速するわけだよな
それなら完全な余剰資金で遊ぶようにすれば、いいところで切り上げることもできるんじゃないかと。
パチンコとうまく付き合う方法でも、仮説としてお話ししていたことでした。
でも私の場合は、まったくもってダメでした
経済状況が改善した結果、ギャンブルでお金を増やしたい気持ちは(最初は)なくなってはいました。
しかし今度は、スロットを打つ理由が“勝ちたい・遊びたい”になっていた
と、満足するためならいくらでも投資できる(お金の制限が撤廃された)ようになっていただけだったのです。
1日で13万円負けた日も、最後は「いやいや……」と、でたのは苦笑いでした。
ようは、ギャンブル依存症者は、経済的に余裕があっても使うお金が増えるだけで遊戯をコントロールはできないという話です。
これにより、パチンコとうまく付き合う方法の「余剰資金説」は、(私には)不可能ということがわかりました。
勝っているうちはやめられなかった
収支がプラスになっているあいだは、スロットをやめられませんでした。
「バイトをしていると考えれば……」と、行く理由ができてしまっていたからです。
2、3回目あたりから、「スロットはもうやめたほうがいいぞ」は考えていました
単純に、やっていてもなんにもならず、やはり時間のムダだと感じたからです。
でもお金が増えているなら、バイトをしているようなものだと考えることもできます。
それが大きな理由となって、勝っている状態でやめるのはムリでした。
やめるなら負けた状態じゃないと不可能。
「来たからには最大限遊びたい」と、どっちにしろ閉店近くまで帰れなかったので、わざと負けるような打ち方もしていました。
結局、時間のコントロールが基本できないのも変わっていませんでした。
使えるお金がなくなってもやめられなかった
使えるお金がなくなったらやめよう
そう考えていたものの、いざお金がなくなってみると、やっぱりまだ行きたい。
そこで私は、またしてもキャッシング(クレジットカード)に手を出してしまいました。
ふつうに借金をしてまでギャンブルをしてしまったのです。
2週間目あたりになると、スロットの習慣はほぼ復活していました
打つお金がないなら借金。
というかむしろ、借金をして追い込まれていたほうがアツくなれます。
結果、手を出してはいけないとはわかっていても、キャッシングに手を出してしまい……、
「勝てばいい、勝てばいいんだろ?」
そういう話になってしまったのです。
そしてここからは、ギャンブルで勝った負けたの収支を追うようになっていきました。
「スロットを打つためのお金を増やす」勝負になったわけだ
経済状況が改善したとか、もはや関係なかったですね。
ギャンブル用のお小遣いを勝って増やそう、と、結局はお金を増やす目的にもどってしまっていたのです。
生活に多くの悪影響がでるようになった
スロットの習慣が復活して以降、日常生活に悪影響がでるようになりました。
以下のような影響です。
- 読書、運動の習慣がなくなっていった
- 副業に取り組む時間が大幅に減ってしまった
- 喫煙習慣も徐々にもどりつつあった
ギャンブル行為の復活後、趣味だった読書はほぼナシに。
日課の運動もしなくなり、副業に取り組む時間もどんどん減っていきました。
仕事をやってから……とかも無理で、とくに休日はスロットが最優先の予定になっていました。
またタバコも、パチ屋にいる時間以外でも吸いたくなることが増えていきました
タバコの習慣が復活しつつあり、タバコを吸いたいのもあってパチ屋に行く、と、悪循環が止まらなくなっていました。
すべてがどうでもよくなってきた
そして大きな問題だったのが、人生の夢・目標が、どうでもよくなってきていたことです。
私には夢・目標があって、それを叶えるために日々がんばっています
しかしスロット通いが長期化するにつれ、それがだんだんどうでもよく感じられてきました。
- 夢の実現なんて、じつはムリなんじゃないか
- スロットを打っている時間が楽しければ、それでいいんじゃないの
そのように、ギャンブル以外のすべてが重要なものではなくなってきていたのです。
3~4週目になると、スロットをやめる気もなくなってしまいました。
「ほんとうに落ちるところまで落ちるか、なにかが起きないかぎりは、やめるのはムリだなこれ」
このブログでスリップを白状しなかったのも、やめようとする気がなかったからです。
そうして、これまでは行かなかった平日の夕方以降にも行くようになり、パチ屋通いは泥沼化していったのです。
なぜスロットをやめて断ギャンブルを誓えたか
以上のとおり、今回のスリップは、内容的にも期間的にも過去最大級となってしまいました。
最後に、そんな状態から「あらためて断ギャンブルを誓えたのはなぜか?」をお話しします。
これは、スロットで勝つのは無理だ、と諦めがついたからだったんですよね
私は一貫して、勝つためにスロットを打っていました。
途中からは収支を追うようにもなりましたが、最大の目的はお金ではなくて勝つこと。
- 趣味で、息抜きで、リフレッシュで、
とかではなく、とにかく「勝負に勝つため」にスロットを打っていました。
それで今回、全体的にヒキは強かったそうだ
フラグはかなり引けていて、行けばなにかしら引けるような感じです。
けれどもそこからのヒキがわるく、途中からは「引いても勝てない」が延々とくりかえされていました。
- 1日にプレミアフラグを複数引いても負け
- 薄い特化ゾーンを引けたのにダメ(生かせない)
- 大量上乗せで土台をつくっても勝てない
となると、思うわけです。
これだけ引いても勝てないなら、じゃあどうやったらスロットで勝てるんだと。
ギャンブルの場合、基本的にすべては運です
引けても負ける・勝てないのは、運がわるかったから、それだけの話です。
もちろん設定が入っていないのもありますが、そうはいっても、さすがに理不尽すぎやしないかと。
ふつうの人なら、もうちょっとマシにチャンスは生かせるだろうと。
それで、道理にあわないような負けがくりかえされるなかで、私はこう思ったのです。
これ以上、勝負で理不尽に負ける自分は見たくないわ
努力が足りないとか、実力不足が原因で勝負に負けるのならわかります。
でもそうではなくて、台の機嫌でひどい負け方をさせられるようなのは、もうガマンがなりませんでした。
そしてこの不条理に気づいたとき、急激に熱が冷めました
負けてくやしいとかを通り越して、こんな負け確の勝負はこれ以上したくないと感じたのです。
まだ打つお金はありましたが、完全にやる気も萎えてしまいました。
そうして熱が冷めたその日から、私の禁スロットは再スタートしたのです。
今回のまとめ
- 経済状況が変わっても依存症者にギャンブルのコントロールは不可能
- ギャンブル習慣が復活したら勝っても負けてもやめられない
- 夢や目標を失ってすべてがどうでもよくなるから行かないほうがいい
今回、スロットを打ちに行ってしまったわけですが、収穫(わかったこと)もありました。
まず、余剰資金説(パチンコとうまく付き合う方法)は否定されたな
状況が変わっていても、行けばコントロールなんてできなくなること。
そして、パチンコ通いが復活すれば、人生の目標を失って転落していくだけ、ということなどです。
正直、かんじんなところでのヒキのわるさに救われました。
まともにやれていれば、パチンコ通いは1か月どころじゃすまなかったと思っています。
今回のことは必要な経験だったと思い、前進していきたいと思います。
それから、やめると決意しても行きたい衝動はおそってくるわけで、今回はつぎの手段を取りました。
- 直近の休日から最長3か月先まで予定を入れた(旅行をふくむ)
- 持っていた会員カードを破棄した
- パチンコ関係のニュースは全部非表示にするようにした
- 定期的に連絡を取っている友人に白状し、禁スロットを宣言した、など
予定がないとスロットを打ちたくなるので、休日はできるだけ人と約束を取りつけるなどしました。
また持っていた会員カードは、出禁を申し出たときにつくってもらったやつです
カードがあれば、その情報から注意できるという話だったので持っていましたが、その効力はなくなっていましたね。
いまのパチンコは、地域にもよると思いますが、大景品廃止で余り玉が最大で2000円未満でした。
もはや会員カードは必須になっているので、今後行かないためにも捨てました。
そのほか、再スタートにあたってやったのは、パチンコをやめる方法でも書いてあることです。
いまはツラい期間を乗り越え、落ち着いた日常生活を取りもどしつつあります。
コメント(確認後に反映/少々お時間をいただきます)
コメント一覧 (6件)
こんにちは。私もスリップどころか、もう諦めて趣味として割り切って『とにかく行く回数を減らす』事で、月1・2回ならまだ趣味と呼べるんじゃないか?と試行錯誤しています。けど、行き始めると結局もっと打ちたくなり、気付けば毎日…となってしまうので、困ります。
今日7/7新宿某大手店は開店抽選ネット応募31000人という状況で、スロット打つ人なら皆パチ屋へ集合してる様な日ですが、打ちたい気持ちと同時にもう止めたいという気持ちも存在していて、とにかくギャンブルに疲れて来ています。
ギャンブル続けてると、生活費の為に続けている仕事すら放り出したくなる事もたまにあり、人間性崩壊していく気がします。脳内で止めたい・打ちたい・止めたい…をずっと繰り返してます。
ルルーシュくるいさん、こんにちは、お久しぶりです。
私も「趣味として月1~2回くらいならいいのでは?」は、まったくおなじことを考えました。
ただおっしゃるように、行きはじめると休日は毎回……とかになってしまうわけですよね。
なのでギャンブルに依存症状がある人は、残念ながら「趣味・息抜き・遊び」とか、そのような付き合い方はできないのだと思います。
不可能というわけです!
某大手のネットの応募人数もすさまじいですね。
今回の件で、生き残っている中~大型店にお客さんが集中している現状を私も目の当たりにしました。
どれだけボッても、そこしかないから人がやってくるという。
それならお店側も設定を入れてくれるわけがありません。
ギャンブルがしたいのは(正直いま私にもその気持ちはありますが)あくまで最初だけだと思います。
ツラい最初の期間を超えられれば、打ちたい欲も弱っていきます。
自力だけで難しいときは、自助グループに参加する手段もあるので、おたがいできることをやって打たない習慣に変えていきましょう。
私は三か月先に旅行の予定を入れて、いまはそのためにもがんばろうとしています。
ミナトさん お疲れ様です。
スリップする 気持ち わかります。
そんな時 私は スーパーの缶飲料を買います。
一つ85円
10で850円
金銭感覚が戻ります。
缶ジュース 一つ買うのも一苦労です。^^;
モノを買って物欲を満たすのは効果的ですね!
我慢しすぎるのもよくないので、日ごろから息抜きするのは大事だと私も思います。
あとは変に新台情報などをキャッチしてしまわないように気をつけることですね。
打ちたい台を見つけてしまうとまた打ちに行きたくなってしまうので、新台情報などはできるだけ目に入らないようにしておくのがいいと思います。
禁パチする為にブログを見てて内容が判りやすくて為になったから遡ってずっと読んでたけど
色々試されて成功してたのに結局今年スリップしててなんか笑ってしまったわ(笑えないけど)
結局スリップする理由が全てやっぱり「パチスロを打つ為の」言い訳・正当化なんですよね
長期間辞められてる今なら正しく遊べるんじゃないか?とか一見まともそうに見えてまともじゃない
まともに見えるような正当化する理由をこじつけて結局は「パチスロを打ちたい」に帰結する
色んな禁ギャンブルブログやYouTubeで禁ギャンブル系の動画を見て色んな方法論や色んな精神論を学んだけどいままで見た中で一番凄いと思った、本気度を感じた媒体は
「禁パチする100の掟ブログ」かな ここだけ唯一というか本気の本気でパチンコパチスロを辞める2度とやらないという熱を感じた
他の禁ギャンブルしてる人達はどこか本気じゃないというかまたスリップしてしまう危うさ・甘えを感じる 病気認定や方法論で理論武装してもスリップしてしまう
それを超えるのは何が起きても絶対の絶対にやらないという圧倒的な熱と硬いダイヤモンドの意思
ヤケクソな根性論じゃなくて人生をギャンブルにギリギリまで追い詰められた人間があらゆる方法論を包括した上で最後に残る禁ギャンブルの要はそれだった
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、常習的に行っていない今でも、私の頭の片隅には「パチスロを打ちに行きたい」があると自分でも自覚しています。
ただ、それこそが、パチンコ・パチスロに対しての依存症状なのではないでしょうか。
私には夢や目標があって、それを叶えるためには多くのものを犠牲にする覚悟で日々精進しています。
しかしそんななかでも「パチスロを打ちたい」はよく考えます。
行けば自分の夢や目標が遠のいてしまうとわかっていてもです。
熱や覚悟など、意志ではどうにもならないこともあるのが依存症だと思います。
本気でやっていても、何かでグラついたときに真っ先に頭に浮かんでしまうのが依存症状だと思います。
私も人間なので弱い部分はありますし、
行ってしまったことを正当化するような話をしたのも、結局は弱さからくるものかもしれません。
しかし人間なら、だれだってそのような弱さや危うさは持っていると思います。
「失敗してしまっても、またこれからがんばろう」
ですからそのように、次へ、その次へともがき続けるのが一番大事なことだと思っています。
絶対に失敗してはいけない、ではなく、失敗しても次がある、という考え方でもいいのではないでしょうか。
もちろん、甘えがある・危機感を持っていないとかではなく、自分なりに本気で毎日を生きていての話です。
そうやって生きていくなかで、どこかで完全に決別できる日がくるんじゃないかなと私は考えています。
(※だからといってそれまでなら時々行っていいとは考えていません。また「自分で確かめなければ答えはわからない」という考えは自分では正しいと思っています。ですから今回の経験はこれはこれでよかったと私は思っています)